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なぜ私たちは「多言語対応」より「文化対応」という言葉を使うのか
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正直に言うと、「多言語対応」という言葉を使うのが、あまり好きではありません。
言葉として間違っているわけではないし、実際に私たちがやっていることのひとつは確かに「多言語」の対応です。でも、その言葉だけでは何か大事なことが抜け落ちてしまう気がして、社内でも意識的に「文化対応」と言うようにしています。
なぜそう思うようになったか、少し話させてください。
翻訳は「変換」ではない
以前、あるプロジェクトで、日本語の会社案内を英語にする仕事をしていたときのことです。
原文にはこんな一節がありました。「お客様とともに、長きにわたってご信頼いただける企業を目指しています」。
直訳すれば "We aim to be a company that earns your trust over the long term." になる。意味は通じます。文法も問題ない。
でも、欧米のビジネス文化では、これはほとんど何も言っていないに等しい文章なのです。「信頼される企業を目指す」という言葉は、あまりにも抽象的で、どの会社でも使えるものだから、読む人には何も残らない。
日本語で読めば、そこに誠実さや謙虚さを感じられる。でも英語にした瞬間、その温度感はほぼ消えてしまう。
そのときに気づいたのです。翻訳は「変換」ではなく、「再解釈」だということに。
言葉の背後にある「意図」を届ける
私たちが文化対応と言うとき、具体的に何をしているかというと——まず原文の「意図」を読み解くところから始めます。
何を伝えたいのか。なぜこの言葉を選んだのか。その言葉が日本語話者に与える印象は何か。そして、それと同等の印象を英語(または中国語、ドイツ語)でつくるには、どんな言葉と構成が必要か。
これは翻訳というより、もう少し広い意味での「コミュニケーション設計」に近いと思っています。
「正確に訳す」ことのリスク
逆説的に聞こえるかもしれませんが、正確に訳すことが、かえって伝わらない原因になることがあります。
日本語には、文脈や関係性を前提にした表現が多い。敬語のニュアンスや、「〜と存じます」という丁寧な断定の仕方は、英語にそのまま移植しようとすると、どこか奇妙な文章になりやすい。
それよりも、「この文章で相手に何を感じてほしいのか」を起点に言葉を選ぶ方が、結果的に相手に届く文章になります。
言語は、文化の入り口にすぎない
もうひとつ言うと、言語はあくまで入り口です。
英語のサイトをつくっても、決済方法がその国で使われていないものしかなかったり、連絡先がすぐに見つからなかったり、レスポンスが週単位でしか来なかったりすると——言語の壁を越えたところで、文化的な壁が残ります。
サイトの言語対応は、そのほんの一部にすぎない。でも、その一部をきちんとやることで、「この会社はちゃんと自分たちのことを考えてくれている」という印象を相手に与えることができます。
それが、信頼の始まりだと思っています。
「多言語対応」ではなく「文化対応」——少し大げさに聞こえるかもしれませんが、私たちにとってはそれが仕事の核心です。

